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オランダの『死』への考え方 [海外]

2002年の『安楽死法』につづき『自殺幇助法』も可決へ

 まぁ、日本のものさしで図るにもこの国は何もかもが違いすぎる国なので、オランダでは麻薬も合法ですし…でも『生存権』がある以上は『死ぬ権利』に関しても保護するのもありなのかぁ?
 生物として生まれた以上命は自身で責任を持って全うする義務を持っているとは思うので、倫理観には反するとは思うんです…しかしなんです!

 命を全うするというのが分かれ目だと思います。生きる事は楽しい事ばかりではなく、辛い・苦しい事だってたくさんあります。厳しい状況を克服してこそ得られるものに生きる価値を見出せると綺麗な言葉で表現するとこうなのですが…生きることに本当に疲れてしまった人には通じない考え方ですよね、醜態を晒してまで生きることに拘るのか、生きる理由を見出せず死を選ぶのか…最終的には本人が決断する事です、他人がそれを決める事自体間違っているのかもしれないのかもしれません


ただし一度選んだらやり直しの絶対にない選択肢です、その重みは知るべきではないかと

 けっこうたくさんの人が文章やメールで『生きる』と『活きる』を使い分けする事はよくあります。本来の意味は『活きる』常用外では『生きる』と意味は同じです…使い分けしているのは精神的にも充実している状態で使うのが『活』でただ日々を反復運動のようにしている状態を『生』と使ってます。『活魚』『活力』の『活』にはよりぷプラスの意味合いを感じさせると思ってます…『寂しい』と『淋しい』・『思い』と『想い』の使いわけも同じような感覚です。本来の意味は同じなんです…使い分けすると言葉に深みが生まれるのが何だか不思議です。

でも発音は同じなので会話の中で明確な違いを生み出すのはそう簡単な事ではないですね。自分の気持ちを長くならないようにかつ分かりやすく伝えるにはもっと言葉を多く使えなくてはいけないと思います。もっとたくさんの言葉の意味を理解して使えるようにしておかなくてはなりません…まだまだ自分のボキャブラリーはまだまだ足りません、人生死ぬまで勉強…まさしくそんな感じです。
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caco

『死』って云う事も 昔々の『死』とは違ってきているかもしれませんね。
今日のニュースの時間で 心臓移植を待ちながら人口の心臓を付けて待っている母親が『わが子を 抱きしめたい』(装着している機械の為 思いっきり抱きしめてあげる事ができないそうで)と云ってました。

以前、父が入院している時 集中治療室で隣に(多分)俗にいう植物状態のご高齢の患者さんがいました。

もちろん 安易に使えない権利でしょうけど、最後の最後の選択にそういう『オランダ』のような選択が許されるなら、身内を手に掛けずに済むのかもしれないし。
by caco (2010-05-19 03:22) 

じぃじぃ

こんにちは、ブログを訪問 nice を頂き
ありがとうございました。(^▽^)/
日本でも国民的議論がもっと盛り上がらないといけないんですね。
後期高齢者医療についても棚上げになっています。
今が議論するいい機会のような気がするのですが。

by じぃじぃ (2010-05-19 12:08) 

abika

言葉は奥深いですね^^
元気になりました。 ご心配おかけしました。
by abika (2010-05-20 10:04) 

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